突然ですが、グレーゾーンについて皆さんと考えたいと思う。
「白黒ハッキリする」ほうが明快なのだが、実際は白と黒の間にグレーのグラディエーションが広がっているわけだ。白がいつの間にか黒、黒がいつの間にか白。
最近ちょっと驚いたことがあった。
この歳になってくるとたいしたことでは驚かないのだが、これはちょっと・・・。
岩波新書がプロレス本を発刊。
岩波が、だ。。
プロレスを、だ。
ちょうど仕事がピークだったので発刊当日に読破、とはいかなかったのでちょっと出遅れてしまったが。
昭和のプロレスは、哀しい。
いろいろなものをレスラーは背負っている。
星をつかみ損ねたスポーツ・エリートたちが、仕方なく、生活のために、人前で見世物をやる。
対戦相手も同じだ。
だから、対戦相手との勝負が「勝負」ではない。
自分の試合でいかにお客さんが「面白がってくれるか」が勝負。
そのためには、対戦相手との信頼関係がないと「面白い試合」にはならない。
技を投げられたら、正面から受ける。
技を投げたら、正面から受けてもらう。
この関係が基本。
そして、他の勝負事と決定的に違うのが、
「反則はカウント3まで」
のルール規定。
反則をやったら失格ではない。
カウント3以上やっていたら、ダメよ。
つまり、カウント3以内は反則しても大丈夫。
こんなルールで、ほんとうに大丈夫なのか?
しかし、ここがプロレス。
対戦相手との勝ち負けに、価値は無いのだから。
お客さんが面白がってくれれば、勝ちなのだから。
プロレスは、やらせか?
ちがいます。
真剣です。まじめです。
真剣に、まじめに「見せている」のです。
ワールド・リーグ戦、という甘美なる幻想。
世界中の個性的なレスラーが一堂に集い、世界最強を決める。
民族の興亡史がいきなり繰り広げられる。
しかし、ロシア代表の選手はロシア人ではないのだ。
フセインの義兄弟は、ただのアメリカ人だ。
フセインなんかと会ったことも無いはずだ。
でも、それでいい。
お客さんが面白く楽しんでいるから。
メキシコのルチャ・リブレは、白人種に対する「自由への戦い」だ。
アステカ文明の時代まで一気にさかのぼる長い歴史が背景に横たわる。
しかし、覆面かぶっている本人は「自由に戦う」と考えている。
でも、それでいい。
岩波新書の「プロレス本」は、日本人レスラーがプロレス黎明期にアメリカで何をしていたのか、という切り口だが、もちろん読むべきところはそれだけではない。
その行間が、面白い。
グレーなのだ。
スポーツと格闘技とドラマ。
反則3まで。
勝者が「負け」、敗者が「勝ち」、いや、お客さんが勝ち。
世界代表、というギミック。
全て、なんだかはっきりしない。
グレーだ。
どこまでも深く続くグレーの中で、物事が起こっている。
それを、楽しむ。
プロレスのグレーゾーンは、深いのです。
いや、プロレスそのものが「グレーゾーン」の産物なのです。
「ファインティング・オペラ」なんかでは、ないのです。
留守key |
||
![]() |
お初にお目にかかります。Allegretto氏からご紹介をいただき、やってまいりました。 徒然なるままが苦手などっぷり昭和人間ですので、ここでのテーマを決めてしまいました。かなり以前からこだわっているグレーゾーンについていろいろと考えてみたいと思います。音楽と読書と美術館、そしてなぜか昭和のプロレス、東北贔屓、おいしい餃子を求めて日々を過ごしております。よろしくおねがいします。 |
|