主人公・野江(のえ)は夫の病死後再婚するものの、今の夫は吝嗇で冷ややかな男。ある日、実家の墓参りで婚家を出ていた帰り道、野江はふと三分咲きの山桜に惹きつけられ、ひと枝持ち帰ろうと精一杯背伸びをする。そこへ、
「手折ってしんぜよう」
手塚弥一郎と名乗る男は野江の顔を知っている様子。山桜を手渡され、その名は確か再婚前に会いもせず自ら縁談を断った相手だと思い出す。
「幸せでござろうな」
「はい…」
評判の剣術使いと聞いて乱暴な男を想像し、母子二人のもとへ嫁ぐのを何とはなしに避けた野江だったが、男の暖かい眼差しになぜか包まれるような…。
数ヵ月後、弥一郎は藩を疲弊に至らしめた人物を殺め獄舎に入る。同情派に支えられ切腹か否かの裁断は次の春まで保留に。野江は、夫がその噂を聞いて弥一郎を悪く言うことに強い反感を覚える。これまでの我慢も重なって、夫とは離縁の道へ。
裁断をひと月後に控えた春の初め、ちょうど昨年手折って貰った山桜の季節。野江は、ひとり家を守る弥一郎の母に小枝を贈ろうと勇気を振り絞って手塚家に向かう。玄関には優しく穏やかな眼を持つ女性、弥一郎の母が出迎え、
「いつかあなたが、こうしてこの家を訪ねてみえるのではないかと心待ちにしておりました。さあ、どうぞお上がり下さい」
母の話によると、弥一郎はずっと以前より野江を遠くから気にかけており、縁談も本人の希望で持ちかけたものだった。そして縁なくして時が過ぎようとも、野江の幸せを願って止まない弥一郎の存在がそこにあった。
履物を脱ぎかけた野江の胸に、悔いとも喜びとも感謝とも表せぬ、様々に入り混じった思いが込み上げて涙が溢れ落ちる。
「ここが私の来る家だったのだ。この家が、そうだったのだ。なぜもっと早く気づかなかったのだろう…」


